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(復刻版)

 

その1:チャリ旅オンラインとは?

2005年4月12日から2020年頃4月頃までに「fc2」に存在したWEBサイトである。

​その発端は定かではないが、当時秋田市に住んでいた管理人(中学生)が、なんとなく自転車で北を目指したところ、その醍醐味に嵌ってしまい、専門のウェブサイトを作ったところからはじまったと記憶している。

旅は道連れとはよくいったもんだが、チャリ旅オンラインでは、多種多様な友人たちが登場し、旅路に彩りを添えている。今では疎遠になってしまった友人も多いが、青春時代の思い出を残すという意味で、改めて整理・加筆し公開に踏み切った。

誰が見るんだ・・・という気もしないでもないが、スマートフォンの閲覧にも対応している。

一時期はyahoo!カテゴリ「秋田県ポタリング」に登録されていた事もあったが今は昔。もう一生分チャリに乗った管理人は現在自転車を所有せず、チャリにまたがるのも億劫な日々を過ごしている。

(2020年4月追記)

その2:チャリ旅の定義とは?
チャリ旅とはママチャリを使っての7キロ以上の徒然な旅です。
当たり前ながらマウンテンバイクを使うとチャリ旅にはなりません。
コンセプトは昔から頑なに固持し続けております。
大自然のフィールドを颯爽と駆け抜けてみませんか?

(原文ママ)

 

その3:チャリ旅の発展と人

 

①旅は些細な事から

最初のチャリ旅は無計画に始まった。目的もなく北に行こう。

管理人(ここでの名前は「湊」)に同調した副部長と飯島(秋田市飯島)を目指した。当時は秋田市の中心部に住んでいたが、せいぜい自転車で行っても2~3km圏内。飯島というのは、住んでいる場所から6km以上離れており、遠い場所であった。ところが、自転車に乗ってみると飯島までは1時間もかからなかったので驚いた。

これは、もっと先に行けるのでは?と、我等はさらに北に位置する八郎潟(南秋田郡八郎潟町)を目指したが、これも簡単に攻略してしまい、三倉鼻、天瀬川、鹿渡と北上した。ここまでくれば能代市内まで行けるんじゃないかと、目標が定まったが、残念ながら時間の都合で鹿渡で撤退する事になった。奇しくもそこは能代までジャスト20キロ地点であった。

「引き返したくない」という思いが強まってその日の夜は寝付けなかった。むしろそういった思いが、チャリ旅発展の糧になった事は間違いないであろう。

 

②クリの加入と能代攻略

2回目は、秋田県道15号線と並走する仁別サイクリングロード(雄和・仁別自転車道)へ出かけた。しかし未熟者の我等は、昆虫と熱気と草を恐れて撤退する事になってしまった。

その後、チャリ旅の話しを聞きつけた雨降りダスター「クリ」が仲間に加わり「能代計画」が進行する。そして2003年夏ついに我等は能代往路120キロに成功する。

③西津軽計画の頓挫

その後、クリと副部長がどういうわけか不和になり「湊とクリ」「湊と副部長」という新たなコンビが定着する事になった。

我等は能代計画が成功したため、次は「西津軽計画」を企てる。青森県西津軽に日帰りで行こうという馬鹿げた計画である。

この計画が倒れることは容易に予想がついた。岩館・大間越の県境の峠は、車でいったとしても時間のかかる峠道であり、借に青森県境にいったとしても帰れる保証はなかった。

2003年秋。「西津軽計画」を実行する日がきた。奇しくもその日は秋田県地方を台風が襲い断念することに決めたのだが、クリが行きたいというので親と喧嘩別れして北へ向かった。

しかし、折節北風激しく断念。台風と反対の南への進路を目指した。海風強く倒木相次ぎ必死の思いで秋田市を脱出。由利郡大内町に到着したときは快晴であった。

思えばこの頃からチャリ旅の意味が変わってきたような気がする。折渡峠の下りの気持ちよさを体験し、私は峠越えに魅力を感じる事になり、これまで距離を求めてきたクリ氏と不和になった。この日は。98キロほどの長距離を攻略した。

秋も終わりに近くなった頃、クリと私は未だ叶わない「西津軽計画」を実行に移すが私のパンクで断念。修理後、我等は大滝山に向かい成り行きで道川林道に潜入。この瞬間「西津軽計画」は断念し峠攻略の旅と相成った。その後、数々の裏道、林道、峠を攻略した。

④予備校でのチャリ旅

2004年春。3人は各々の道を歩きだした。チャリ旅にはまり受験に落ちた湊は予備校に入学。2人は高校合格を果たしてよい人生を歩き始めたようだ。

「私の何が間違っているのだろうか・・・」

予備校に入ってからも、自分を見つけるためにチャリ旅を実行するようになった。それ以後、勉強の合間を縫いながらもチャリ旅に没頭した。

「明日への階」の光照さんとの「チャリ旅Withおまいり旅行」も定着し、予備校の同朋数名とも山や轍を走った。特に新メンバーの池さんはチャリ旅の総裁として新たな存在となっていった。

自分を見つけられない湊だったが、高校入学不可というミスは冷静に受け止める事ができた。

 

新緑の男鹿。山菜採りの寒風山。初秋の上小阿仁。晩秋の小又(上新城)や仁別。そこには林道や長距離の概念を捨て、何気ない四季の変化に感銘を受ける自分がいた。

​(2005年4月原文を2020年4月一部改変)

【登場人物】

 

 

 

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春夏秋冬「チャリ旅」

高校合格を果たしチャリ旅に燃える勢いますます盛ん。

最近はチャリ旅よりも普通の旅にはまっている。

座右の銘は「事故に遭わない」

 

 

池さん

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ikeikeikesannとも。

某中学校のバレー部の監督を務めていた実力派。自慢の頭脳と偏見で人を陥れる。また、ムードメーカーでもありかなりの文官。たまに突拍子もないことをする

 

 

 

副部長

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趣味は釣りで奇跡を起こすお人。多少、あじけないところもあるが携帯電話を車にひかれた粋な人柄!技術面で旅を補佐!名言は「奇跡は起こすものではない、起きるものだ・・・」

 

 

 

クリ

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明るい性格でいつもムードメーカーな男「クリ」である。事件を起こしても得意のテクニックで笑ってごまかす。とてもおもろいヤツ。しかし「キレる」のがたまにキズ!行動力で旅を補佐!

チャリ旅の記録

March 31, 2020

​全46回のチャリ旅の記録はここから!!

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